みのまり

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音坊主 2017年東京公演 動画&プログラム メシアン オリヴィエ・メシアン:「世の終わりのための四重奏曲」

Olivier Messiaen : “Quatuor pour la fin du Temps” オリヴィエ・メシアン(1908~1992)は、20世紀半ば以降のフランスを代表する作曲家・オルガニスト・ピアニストとして、ヨーロッパの近現代音楽史を牽引した巨匠である。自身の母校であるパリ音楽院の和声科・音楽美学科・楽曲分析科・作曲科の教授として、ブーレーズやシュトックハウゼン、クセナキス、ミュライユ、グリゼイといった数多くの作曲家や、後に彼の妻となるイヴォンヌ・ロリオをはじめとする多彩な演奏家を育てた優れた教育者としても知られている。その音楽は、神秘主義的なカトリック信仰に基づき、共感覚(メシアンの場合、音を聴くと色彩が見える)によるとされる独特な色彩感と、インド音楽のターラやギリシャ詩の韻律などの研究をベースに精緻に織り上げられた複雑なリズム語法によって特徴づけられる。鳥類学者として世界各地で鳥の囀りを書き取り、作品の多くにそれらを登場させたことでも有名である。 <世の終わりのための四重奏曲>は、第2次世界大戦中に従軍したメシアンがドイツ軍の捕虜として捉えられていたドイツ・ポーランド国境付近の第8A捕虜収容所において作曲され、作曲者自身のピアノと、同じく捕虜になっていた3人の演奏家  作品の編成は戦渦による偶然の出会いの産物である  によって1941年1月15日に収容所内第27兵舎において初演された作品である。原題では「 la fin du temps = 時の終わり」であるが、これは過去から未来へと続く時間の終焉、つまり”永遠”の始まりを意味している。 スコアの冒頭に記された作曲者自身の解説では、作品の直接的なインスピレーションの元として新約聖書の「ヨハネの黙示録」第10章から「私は力に満ちた御使(天使)が雲に包まれ、頭に虹を戴き、空から降りてくるのを見た。その顔は太陽のようで、その足は焔の柱のようであった。彼は右足を海上に、左足を地上に置き、海と地の上に立っていて、その手を天に向って挙げ、時を超えて生きておられる方にかけて誓った。『もはや“時”は存在しなくなるであろう。第7の御使が吹くラッパの日には、神の奥義が成就する。』」という箇所が引用されている。この長大な作品は8つの楽章より成っているが、メシアンは8という数について「7は完全な数であり、天地創造の6日間は神の安息日によって聖別され、この休息の7は永遠の中へと延長されて不滅の光、不変の平安の8となるのである」と述べている。 各楽章の内容は以下の通り。第1楽章<水晶の典礼>  チェロが2つの非可逆リズム(回文のような構造を持つリズム・パターン)から成る15音のリズム・ペダルを、全音音階を用いた5音の反復によってハーモニクスの音色で奏でる一方、ピアノは17個の音価から成るリズム・ペダルを、29個の和音群の反復によって響かせる。旋律や和音の反復単位とリズムの反復単位が互いに独立している様は、前述のように14世紀の作曲家マショーのイソリズム技法を思わせるものがあるが、チェロとピアノがこうして複雑な時の層を織り成し”宙づりにされた時間”の感覚を生みだす中、クラリネットとヴァイオリンがツグミ(クロウタドリ)やナイチンゲールの目覚めの歌を歌う。メシアンはこの音の情景を「天国における調和のとれた静寂」と形容している。第2楽章<時の終わりを告げる天使のためのヴォカリーズ>  先に引用した黙示録に登場する御使の力強さを表わすというフォルティッシモの導入部の後、弱音器をつけた弦楽器が移調の限られた旋法第3番を用いて書かれた聖歌風の旋律を2オクターヴのユニゾンで清らかに歌い上げる。遠くより響いてくるカリヨンのごとき音色で弦楽器の旋律を包み込むピアノは、メシアンによれば「ブルー・オレンジの和音群による柔らかな滝」とのこと。最後に、導入部の後半7小節が上下反転した形で短く回想されて楽章を締めくくる。3)<鳥たちの深淵>  クラリネット・ソロの楽章で、メシアンは捕虜となる前にヴェルダン近郊の要塞で出会ったクラリネット奏者アコカのためにこれを書き始め、共にドイツ軍に捕らえて移送される途中の野営地で試演されたという経緯がある。移調の限られた旋法第2番によって書かれたメシアン好みのM字形音型に始まる陰鬱なモノローグ(深淵)の後、大きなクレッシェンドを伴うホ音のロング・トーンを機に、一転して活発な鳥の囀りによる中間部となる。やがて冒頭モティーフの7音に由来するアーチ状の音型とそのエコーが聞かれると音楽は徐々に静まり、モノローグがオクターヴ下の最低音域で再帰する。メシアンはこの楽章のタイトルに関して「深淵、それは、悲しみと倦怠に満ちた“時”である。鳥たち、それは”時”の対立物であり、光や星、虹、そして喜びに溢れたヴォカリーズへの、我々の希求である」と形而上学的見解を述べている。4)<間奏曲> ピアノを除く三重奏で、まだピアノが置かれていなかった収容所で演奏することを念頭に、始めに書かれたのがこの楽章であったと伝えられている。メシアンには珍しく2/4拍子を終始保ち、軽快なタッチで書かれたスケルツォ的楽曲である。何度も回帰するユニゾン乃至はホモフォニックなルフランの間に、3種類のクープレ  鳥の囀りによるもの、長3和音の伴奏を背景に歌われる旋律が聞かれるもの、第6楽章の主題を予告するもの  が差し挟まれる。5)<イエスの永遠性への称賛> チェロとピアノの二重奏で、1937年に作曲されたオンドマルトノ六重奏曲<美しき水の祭典>の第4楽章<水>の主要部分から編曲されたものである。「果てしなく遅く、恍惚として」という指示通り、という異常なまでに遅いテンポによって朗々と歌われるチェロの長大な旋律  数種の移調の限られた旋法によるが、殆どホ長調のように響く  は、メシアンによれば「『年月は尽きることはない』という御言葉の永遠性を、愛と畏敬の念をもって誉め称える」ものだという。ピアノの伴奏は単純極まる和音の連打にすぎないが、いかなる対位法も持たない”旋律と伴奏”のみという書法は20世紀の芸術音楽としては例外的な形態であり、メシアンの非凡な率直さを示すものである。作曲家は解説の中で、「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」という「ヨハネによる福音書」の有名な冒頭部分を引きつつ“御言葉としてのイエス”に捧げられたこの賛歌の思想を説いている。6)<7つのトランペットのための狂乱の踊り> ここで4つの楽器が再び揃い、激烈なダンスを繰り広げる。終始ユニゾンで為される激しい動きは、黙示録で御使たちの吹き鳴らす7つのラッパ(様々な破局をもたらす6つと、神の奥義の成就を告げる最後の1つ)や、打ち鳴らされるゴングの響きを想像させるに充分な迫力に満ちている。冒頭より提示される主題旋律群は、添加価値(16分音符のような短い音価を、音符や付点もしくは休符の形でリズム細胞に適宜加える技法)による奇数リズムの多用や、移調の限られた旋法に特有の音調によって強烈な印象を結ぶ。曲中何度も回帰するこの主題旋律群が、第1部では多様な非可逆リズムを次々と繰り出すパッセージを間に挟み、第2部では主題自身のリズムが圧縮されつつというリズム細胞の様々な比率による拡大・縮小形の挿入によって何度も分断され、終盤の第3部では時間的にも空間的にも大きく拡大されて凄まじいフォルティッシモの雄叫びへと至る。この音楽をメシアンは「鳴り響く見事な花崗岩の、石質の音楽:鋼鉄の、緋色の憤激の巨大な塊の、凍りついた陶酔の、抑えがたい運動」と詩的に表現している。7)<時の終わりを告げる御使のための虹の錯綜> ソナタ形式のように二つの主題を有する、楽曲中最も複雑な構成をもつ楽章。冒頭でチェロによって提示される旋律的な第1主題は、移調の限られた旋法第2番によるものだが、フレーズ毎に異なる長調の印象の間を揺れ動く。移調の限られた旋法が内包する”調性偏在性”を活用した好例といえよう。続いて4楽器がフォルテで提示するリズミックな第2主題は、第2楽章の導入部より抽出されたものである。その後は、第1主題の3つの変奏と第2主題に基づく2つの展開部が交替する形で進み、最後に第2主題が短く回想されて閉じられる。黙示録の御使が頭上に戴く虹は、メシアンの解釈では「平和と英知の、そして響き渡り光り輝くあらゆる振動の象徴」であるという。8)<イエスの不滅性への称賛> 第5楽章と対を成す楽章で、1930年作曲のオルガン作品<二枚折絵>の第2部から、ヴァイオリンとピアノの二重奏にトランスクリプションされたものである。この楽章で称えられるのはイエスの人間としての側面であるとされる。第5楽章と同じく“永遠”を感じさせる極端に遅いテンポと、ホ長調を基調とする柔らかな響きに包まれて、ヴァイオリンの旋律は二度にわたってはるかな高みへと昇ってゆく。メシアンの言を借りればそれは「人がその神へと、神の子がその父へと、あがめられた被造物が天国へと向う上昇」に他ならない。ピアノの伴奏はここでも心臓の鼓動のような短長格リズムによるシンプルな和音の連打に終始するが、ハーモニーの精妙な変化がもたらす類い稀な美しさは、メシアンが、ラモーやフォーレ、ドビュッシーを生んだフランス音楽の伝統の継承者であることをはっきりと示しているといえよう。解説 夏田昌和

音坊主 2017年東京公演 動画&プログラム ストラヴィンスキー

イーゴリ・ストラヴィンスキー:「兵士の物語」より「小さなコンサート」Igor Stravinsky : “Petit Concert”, extrait de “L’Histoire du soldat” 20世紀音楽の最大の革新者の一人イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882~1971)は、初期3大バレエの時代における原始主義の音楽から、1920年代以降の新古典主義作風、そして第2次大戦後のセリー主義を独自に取り入れた時期まで、次々に作風を変えていったことで知られる。その功績としては何よりもまず、絶えざる拍子の変化や奇数拍子の多用、リズム細胞の巧みな変化を伴う反復、拍節から独立して進むリズム・ペダル(リズム・オスティナート)の大胆な使用などにより、西洋芸術音楽において支配的だった一定不変の拍節を解体し、和声や対位法に比して単純なものに留まっていたリズム構造に新たな息吹を吹き込んだことが挙げられよう。そうした文脈においてストラヴィンスキーは、”Compositeur et rythmicien”(作曲家にしてリズム主義者)を自称していたメシアンの登場を予告する作曲家であり、「メシアンへと続く道」の最終ランナーとして誠に相応しい。 <兵士の物語>は、大スキャンダルを引き起こした<春の祭典>から5年後の1918年に発表された7人のアンサンブルと語り手、兵士、悪魔、王女(台詞はなし)の役による舞台作品で、ロシアの民話に想を得て書かれたラミューズの台本に基づく。本日演奏される<小コンサート>は、兵士ジョゼフが病床に伏した王女の寝室でヴァイオリンを弾くと、王女が起き出して踊り出すという場面につけられた音楽で、後に作曲家自身が5曲を抜粋し創意豊かに編曲したトリオ版組曲(1924)では3曲目に位置する。輝かしいニ長調で中高音域に密集し、ヴァイオリンの重音奏法とファンファーレを思わせるクラリネットのフレーズが印象的な冒頭部分に始まるが、この楽想は元々<小川のほとりのアリア>(トリオ組曲版では2曲目<兵士のヴァイオリン>)で過渡的に登場したモティーフを発展させたものである。その後、最終的にこの楽想が回帰して終わるまでの短い時間に、実に様々な楽句が目まぐるしく立ち現れ、組み合わされるが、その内かなりの部分は組曲前半において既に聞かれたモティーフである。この時期のストラヴィンスキーが得意としていたリズム・ペダルはこの楽曲でも中間部分において効果的に使用されており、変拍子による主旋律に対し2/4拍子や3/8拍子を保つリズム・ペダル声部が重ねられることにより、聴くものの耳をかく乱する  そして演奏するのも至難な  複雑極まるリズムの層を作りだしている。解説 夏田昌和

音坊主 2017年東京公演 動画&プログラム解説 ドビュッシー

クロード・ドビュッシー:前奏曲集第1集より「帆」Claude Debussy : “Voiles”, extrait de “Préludes, Premier livre” pf.vn.vc.cl版(編曲:夏田昌和) 19世紀末から20世紀始めのフランスを代表する作曲家であり、シェーンベルクやストラヴィンスキーと共に近現代音楽の扉を開いた一人であるクロード・ドビュッシー(1862~1918)については、改めて紹介するまでもないと思われる。その極めて独創的な作品世界や音楽語法が後世に与えた影響も大きく、メシアンも理論書やインタビューの中で度々ドビュッシーを引いてその革新的な和音のパレットや柔軟なリズムを称賛し、自身の音楽語法の出発点の一つとして挙げている。ドビュッシーが生きていた時代、長調や短調といった古典的な調性は、その豊穣な可能性を使い果たして飽和状態へと達しつつあった。その中で、ヴァーグナー後期の半音階的語法を出発点に無調や12音音楽へと果敢に向っていったのが新ウィーン楽派の3人(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)である。一方、カトリック国として教会でグレゴリア聖歌を歌う習慣が残っていたフランスでは、フォーレやサティ、ラヴェルらによって教会旋法のエッセンスを取り込むことにより調性の世界を拡張する方向が模索されていた。ドビュッシーも、自らの創作のベースとなる音高組織に極めて意識的だった作曲家である。彼の作品では部分やパッセージ毎に、12半音階的な書法や、6音より成る全音音階、デイアトニックな7音の教会旋法や長短旋法、東洋的な5音音階などが注意深く選び取られている。シェーンベルクらが「12音技法」というただ一つの理論体系で創作を統御しようとした一神教的な姿勢とは反対の、多神教的なアプローチと言えるかもしれない。 1909年から翌10年にかけて書かれた12曲より成るピアノのための<前奏曲集第1集>は、続く前奏曲集第2集>の12曲、<12の練習曲>と共に、ピアノ独奏分野におけるドビュッシー晩年の傑作として知られる。バッハやショパンの伝統に敬意を表しつつも、ピアノ演奏法と作曲技法の両面において革新をもたらし、現代音楽へと続く道へ大きな一歩を踏み出した作品群である。<帆>(あるいは女性がかぶるような”ヴェール”、”覆い”の意)は第1集の2曲目で、一部分を除き一貫して全音音階を用いて書かれている。後にメシアンが「移調の限られた旋法第1番」に分類した全音音階は、その名の通り全音のみが積み上げられている音階である。従って主音やフィナリスのような音階の中心音(開始音)を持たず、完全5度がないため長3和音や短3和音といった古典的な和音の殆どが成立しない。曖昧模糊とした印象で、調性組織からは遠くかけ離れた旋法の一つと言えよう。ドビュッシーは様々な作品でこの全音音階を見事に用いている  故にメシアンはこの旋法には「もはや新たに付け加えるところはない」と判断し、「移調の限られた旋法第2番」(半音と全音の交替)や「第3番」(全音と2つの半音というユニットの堆積)を好んで多用した  が、この作品はその代表的な例である。 曲は4つの部分に分かれる。第1部分では、層を成す3つの基本要素  (a)長3度の並進行と柔軟に変化するリズムで下降する運動(高音域)、(b)8分音符の穏やかな足取りで上昇し下降するアーチを描く旋律(中音域)、(c)B♭音の反復によるリズム・モティーフ(低音域)  が提示される。第2部分ではそれら3要素が新たな形に変容・融合し、付点リズムのオスティナートや上行音階を伴って音楽が活性化する中、今一度要素(b)が完全な形で登場する。一転して霧が晴れたように東洋的な5音音階へと転じる第3部分では、第2部分の楽句が引き継がれつつ一瞬のクライマックスに至る。最後の第4部分は再現部であり、風の一吹きのようなピアニッシモの素早い上行音階を背景に、3つの基本要素が順番を変えて回帰する。解説 編曲 夏田昌和

音坊主 2017年 東京公演 動画&プログラム解説 クープラン

フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集第3集、第14組曲より「恋の夜鳴きうぐいす」François Couperin : “Le rossignol en amour” extrait de 14e ordre, Troisième livre de pièce de clavecin バロック時代フランスの作曲家・オルガニストであるフランソワ・クープラン(1668~1733)は、ドイツのバッハ一族にも比肩する音楽家一族であるクープラン家の中でも最も名が知られており、大クープランと称されることもある。全4巻27オルドル(組曲)合わせて240曲近くにも及ぶクラブサン曲集を始め、オルガン・ミサ曲やトリオ・ソナタ、コンセール(合奏のための組曲)など、主に器楽・室内楽の分野に多くの優れた作品を残した。 クープランのクラヴサン作品は何らかの標題を持つものが多い  この点大バッハとは対照的である  が、計7曲より成る第14組曲では1曲目の<恋の夜鳴きうぐいす>に始まり、<おじけた紅ヒワ>、<嘆きのムシクイ>、<勝ち誇る夜鳴きうぐいす>と前半4曲までもが鳥にまつわる楽曲で占められている。この<恋の夜鳴きうぐいす>はニ長調、ゆっくりとした6/8拍子のクープランらしい典雅な美しさを湛えた音楽で、後半部分においてモルデントや加速するトリルを伴いつつ反復されるホ音が、ナイチンゲールの歌声の描写となっていることで名高い。 自然界の音で鳥たちの囀りほど、我々人間に「歌声」として聞かれるものはないであろう。古くはルネッサンス時代の作曲家ジャヌカン(鳥の歌)や、クープランの同時代人ヴィヴァルディ(春)、そしてベートーヴェン(田園交響曲)、ワーグナー(ジークフリート第2幕、)マーラー(交響曲第1番)、ラヴェル(ダフニスとクロエ、マ・メール・ロワ)、ストラヴィンスキー(ナイチンゲールの歌)・・・と、すぐに思いつくだけでも錚々たる作曲家が様々に鳥の歌声を聞き取り、作品に登場させている。<世の終わりのための四重奏曲>の第1楽章<水晶の典礼>でもヴァイオリンによってナイチンゲール(夜鳴きうぐいす)の囀りが披露されるので、両者を是非比較してお聴き頂きたい。ナイチンゲールの歌声自体は今も昔もそれほど変らないであろうが、2世紀半の間に作曲家の耳や時代の音楽様式、記譜の精度は大きく変化している。当然両者の隔たりは小さくないのだが、それでも両方ともちゃんと”鳥”に聞こえるのでご安心を!「何を象徴しているのかと問われれば、鳥は自由の象徴だとしましょう。私たちは歩き、彼は飛ぶ。私たちは戦争をし、彼は歌う・・(中略)・・鳥の歌のように至上の自由に満ちたメロディーやリズムを、どれほど感銘を受けた音楽だとしても、人が創造した音楽に見出せるでしょうか。」(メシアン)解説 夏田昌和

音坊主 2017年東京公演 動画&プログラム解説 ジュヌ

クロード・ル・ジュヌ:シャンソン集「春」より「また春がきた」Claude Le Jeune : “Revecy venir du Printans”, extrait du recueil pf.vn.vc.cl版(編曲:夏田昌和) クロード・ル・ジュヌ(1530頃~1600)は後期ルネッサンス時代のフランス・フランドルの作曲家。カトリックとプロテスタントが40年近くも争い続けたユグノー戦争渦中のパリに移り住んだル・ジュヌは、当初プロテスタント系貴族の庇護を受けていたが、聖バルテルミの虐殺を免れた後にアンジュー公フランソワの宮廷学長となり、最晩年にはブルボン王朝初代のフランス国王アンリ4世によって王室楽団の常任作曲家に任命された。シャンソンや詩編曲、モテットなどに多くの作品を残した彼は、詩と音楽の融合を目指し古代風韻律音楽をフランス語で蘇らせるという目的をもって1570年に設立された芸術家組織「詩と音楽のアカデミー」の一員としても活発に活動していた。 39曲から成る<春>は、プレイヤード派と称していた彼の詩人仲間の一人バイーフの詩に作曲されたア・カペラのシャンソン集で、長短音節の様々な組み合わせから成る古代ギリシャ詩風の韻律を最大限に活かしつつ、概ねホモリズム的なポリフォニーで作曲されている。メシアンは、音楽院のデュカの作曲のクラスに在籍していた20歳の頃にこの作品の楽譜とたまたま出会い、近現代音楽の変拍子と見まがうような複雑な韻律をもつ音楽に強く惹きつけられたという。以来、自身の楽曲分析のクラスでも幾度となく取り上げ、全7巻に及ぶ理論書「リズム教程」でも1つの章をこの楽曲の分析に割いている。 <また春がきた>は曲集の2曲目にあたるもので、常に5声部で歌われるルシャン(ルフラン)の間に、2声、3声、4声、5声と毎回声部の数を増やしていくシャン(クープレ)が挟まれていく。詩と音楽の韻律は一箇所を除き、短・短・長・短・長・短・長・長 という一種類で貫かれている。ルシャンで繰り返されるテキストは「また春がきた すばらしい恋の季節が」というもので、それ以外のシャンの部分でも春の美しく陽気な田園風景と恋愛の喜びが朗らかに詠われており、明るく愉しい曲調はその内容をよく反映したものとなっている。解説 編曲 夏田昌和

アンサンブル音坊主 2017 プログラム解説 動画 マショー

アンサンブル音坊主 ギョーム・ド・マショー:「ダヴィデのホケトゥス」vn.vc.cl.pf版(編曲:夏田昌和) Guillaume de Machaut : “Hoquetus David”曲目解説 / 夏田昌和(作曲家)ギョーム・ド・マショー:<ダヴィデのホケトゥス>Guillaume de Machaut : <Hoquetus David> 「メシアンへと続く道」は、西洋音楽史を駆け足で巡る旅でもある。グレゴリオ聖歌を起点に、初期のポリフォニーが生じたのが9世紀頃、12世紀半ばのゴシック時代には西洋音楽史上初めて”作曲家”や”作品”が登場してくる。そして今から700年近く前の14世紀フランスで、一人の芸術家によって西洋音楽のポリフォニーは最初の頂点を迎えることになるが、その人物こそアルス・ノーヴァを代表する詩人にして作曲家のギョーム・ド・マショー(1300年頃~1377)である。マショーは数多くのシャンソンやバラード、ロンドー、モテット他を残したが、なかでも<ノートルダム・ミサ>は、一人の作曲家がミサの通常文全体をポリフォニーで作曲した最初の例として知られている。 <ダヴィデのホケトゥス>は、マショーが残した唯一の純粋な器楽曲(編成の指定はない)で、聖歌のアレルヤ唱「栄光の乙女マリアの御生誕」の中の単語「ダヴィデ」を歌うメリスマ部分をテノールの定旋律に用いていることから、この名で呼ばれている。ホケトゥスとは、2つの声部が一音毎に交互に発音することで1本の旋律の様に聞かせる技法で、この楽曲ではモティーフを緊密に模倣しあう上2声部において時折効果的に用いられている。構造上一層興味深いのは、イソリズム技法が用いられているテノール声部(この編曲ではチェロと、カリヨンの音色を模したピアノが担当)である。イソリズムとはアルス・ノヴァにおいて多用された一種のオスティナート技法だが、旋律線の反復単位(コロール)とリズムの反復単位(タレア)が互いに独立しているという特徴をもつ。この<ダヴィデのホケトゥス>では、32個の音からなるコロールが計4回繰り返される間に、タレアは33拍から成る第1の型が8回、27拍から成る第2の型が4回反復される。旋律が繰り返される度に異なるリズムによる一方、リズム型も反復する毎に異なる音高表現をもつ訳だが、これはメシアンが<世の終わりための四重奏曲>の第1楽章においてチェロやピアノのパートに用いている「リズム・ペダル」の技法と全く同じ発想であるといってよい。時を超えた遥かな旅の始まりへと我々を誘う華やかなファンファーレとして、お楽しみ頂きたい。