世の終わりの為の四重奏曲 解説9
お陰様でお席が良い感じで埋まってきました!
興味ある方はお早めにお知らせ下さい!
夏田昌和さんによる解説5!
美しい5楽章。中 実穂さんの演奏に期待です!
5)<イエスの永遠性への称賛>
この楽章はチェロとピアノの二重奏で、1937年に作曲されたオンドマルトノ六重奏曲<美しき水の祭典>の第4楽章<水>の主要部分から編曲されたものです。原曲との違いは、減衰音の楽器であるピアノに合わせて、3声部の伴奏を持続音から16分音符の和音連打に置き変えていることと、原曲の終止音直前にあった”書かれたリタルダンド”(音価を拡大していくことによってテンポが遅くなっていく感覚を生みだす技法)が取り払われて、4分音符の歩みが最後まで続いていることのみです。
この音楽で最も注目すべき点は
「果てしなく遅く、恍惚として」という指示通りの、16分音符=44という異常なまでに遅いテンポでしょう。こんな無茶苦茶なテンポ指示は、私自身は未だかつて他でお目にかかったことがありません。16分音符たった1個で1.36秒。始めの3小節から成る1フレーズを歌うのに何と40秒もかかります!楽章全体でもスコアで3ページのみですが、それでも9分もかかる計算です!殆ど止まりかけるようなこの遅さ、この”時”の感覚は、およそ”人間仕様”のものでないのは明らかです。そう、それこそがメシアンの意図であり、作曲者が「巡りめぐる宿命をもつ人間の次元から解き放たれ、永遠性と再結合する」と語る”時の終わり”=”神の永遠の到来”を描くために、このような極めて遅いテンポによって無限の感覚を、聴くものに生じさせようと試みているのです。
チェロの長大な旋律は、MTL2番の第2移調をはじめとする数種類の「移調の限られた旋法」によっているようですが、ピアノの和音の効果もあってもはや殆どホ長調のように響きます。甘美極まるこの旋律はメシアンにとって「『年月は尽きることはない』という御言葉の永遠性を、愛と畏敬の念をもって誉め称える」ものだそうです。ピアノの伴奏は前述したように単純極まる和音の連打にすぎませんが、20世紀も半ばという時代にあってメシアン以外にいったい誰が、いかなる対位法にも頼らず、ただ一本の旋律とそれを支える和音だけでこのように美しい芸術音楽を書き得たでしょうか。メシアンの”非凡な率直さ”を示している好例と言えましょう。ここで駆使されているメシアンの和声言語は、フォーレやラヴェルの伝統を受け継ぐフランス音楽ならではの繊細で官能的なもので、この上なく美しい光を旋律に投げかけます。なかでも、旋律の大きな上昇とクレッシェンドの頂点において、突然のPPP で花開く四六の和音上に冒頭旋律が4度上に回帰する瞬間は、何とも感動的です。
作曲家は解説の中で、「初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。」という「ヨハネによる福音書」の有名な冒頭部分を引きつつ「御言葉としてのイエス」に捧げられたこの賛歌の思想を説いています。文章 夏田昌和
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